源九郎義経

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奥州平泉には、陸奥の大守・藤原秀衡の館があった。その庇護を受けて、源氏の御曹司、源九郎義経が数名の配下とともに「柳の御所」と呼ばれる館に住んでいた。鞍馬山で武技を磨いた牛若丸も義経と名を変え、平泉に来て六年、思わぬ平安の時を過ごしたのであった。そんな折、兄・頼朝が以仁王の令旨を賜り、蛭ヶ小島に平家追討の旗を上げたのだ。義経は武蔵坊弁慶らを率いて関東の地へ赴く。秀衡は我が子同様の義経を危地に赴かせたくなかったが、義経の堅い心を知るや壮途を祝った。義経主従は駿州黄瀬川に陣を張る頼朝に追いついた。「兄弟、ここに会うて手を取れば何の辛苦ぞ…」と涙を流す頼朝に新しい勇気を得た義経は、木曽義仲勢を蹴散らしたが、途中救った女たちの中に白拍子静がいた。その勢いで数万を擁する福原攻めをも成功し都中の評判となるが、頼朝から院に奏上する論功行賞に義経が洩れていた。義憤を燃やす家臣を抑える義経に、院から検非違使左衛門尉に任官の仰せがあった。これは鎌倉を無視したやり方だった。事実、敢えて義経の行賞を避けた頼朝の側近・大井広元は、主君を説き伏せ平家討伐を範頼に命じ、義経を落とした。奏経の館で、白拍子の静と久方の対面をし、和んだ気持ちになっていた義経はそれを知り愕然とする。決心した義経は、兄・頼朝に会い、不興を解くために東へ下ったが、使者・北条時政は義経主従に「都へ立ち帰れ」と言う。しかし、頼朝の本心は…。

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